BHUTAN ブータン 1998.9.4 〜 9.8
“国民総幸福量世界一の国”といわれるブータン王国に行った。 そのブータン人のおおらかで豊かな人柄こそがこの旅の目玉であった。 |
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朝のティンプーの登校風景。 それは昔の日本の風景のようだ。
多くの人は日本人にソックリで、日本の着物に似た服装(ゴ・キラ)で暮らしている。 |
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朝の散歩で買った、ブータン産のリンゴと缶ジュース、 そして“スイスベーカリー”というパン屋のパンとクッキーが旨かった。 |
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寺院を見学して廻ったが、なかには凄まじいパワーの仏画や仏像もあった。 |
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マニ車は経文が入っていて、回せばお経を読んだことになるという便利仏具だ。
この寺院では老婆がお経を唱えながら、巨大なマニ車を片手で軽々と回していた! えっ、凄い力だ。マニ車の中はお経がギッシリ入っているので相当重いはずだ... あの婆さんの霊力か? 中の経文のパワーなのか? それともあの婆さん、実はマッチョな肉体なのか? 思いをめぐらしたが、この寺院の外に出るとこの謎はアッサリと解決した。 あのマニ車の床下には川が流れていた...そう、つまり水力回転していたのだ。 |
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寺院の中では小坊主達がお経を唱えていて、私のような珍入者にも可愛らしい笑顔で迎え入れてくれた。
なかには生意気な小坊主もいて、五体投地の祈りかたを厳しく教えてくれた。 |
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私はガイドに「どこに行って、何を見たい?」 と聞かれて、「人だ、ブータン人に会いたい」 と答えた...市場と農村に向かった。
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バザールといっても声を掛けたり、売り込んだりは全く無く、皆ただ品物を並べて日向ぼっこをしたり、茶を飲み談笑している。
値段は全て言い値だが、ふっかけられる事はまず無い。だいたいの相場が決まっているようで、値段交渉の煩わしさが無くて良い。 |
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乾燥チーズを売る爺さん。
ひとつ貰って食べたが、埃っぽく石ころを舐めているようで味気なくいつまでも溶けなかった。 |
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大腿骨で出来た笛かな?
これは紛れも無い人骨だった。 |
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野良犬がメインストリートの真ん中で交尾しているが、車も人も平然と通り過ぎていく。
いかにもブータンらしい、のどかな光景だ。 |
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農村を訪れ水田や畑の畦道を歩いた。 左:刈入れ作業の昼休み、みんなで楽しそうに食べていた。
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水田と唐辛子畑の間の畦道を下校してくる孫娘を腰に笛を差したお爺ちゃんが迎える。 |
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爺さんに頼み、ハナタレ小僧のお尻を見せてもらったが蒙古斑は無かった。 |
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よく働き、よく食べ、よく笑うブータン人。
声を掛けると必ず笑顔を返してくれる。 |
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ブータンのモモ(チベット蒸し餃子)にはスープ付きのものが多く最初は別々に食べていたが、隣の人を見るとスープにモモを入れ、調味料を入れてグチャグチャに潰して食べていたので、私も真似して食べてみるとこれがまた美味かった!
バター茶はしょっぱかった。 |
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高級ホテルでの食事は中華料理やインド料理が多いが、
チベット料理も頂くことが出来る。 |
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店先にはドーナツやサモサのような揚げ物が並んでいた。
ドマを噛み赤いヨダレを垂らしたり、チベット料理を食べたり、激辛料理に涙したりと刺激的な食生活だった。 |
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広場で弓の試合をしていた。 試合形式は的中すると踊りだすブータン流だが、洋弓(アーチェリー)を使っていた。 競技会というより運動会のように村人が集まりお弁当を持ち寄ったり、炊き出しをしたりのお祭り的雰囲気だ。 休憩時間には民族衣装を着たおばさん達(チアガール?)の踊りも披露された。 |
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教科書やノートを見せてもらったが学校では英語での授業も多いらしく子供や若者は英語を上手く話す。 |
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人種や国籍に関係なく、男が集まれば盛り上がる共通の話題があるのだ...
ウッシッシ! |
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空港近くの農家の玄関には御神体が描かれていた。 |
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